滋賀県下最大級の墓石展示場がある石材店。
お墓ディレクター1級・2級が在籍しております。

スタッフブログ

キセ石材のスタッフブログのページです。

法然上人の足跡~その13

 

 

 

 

 

しばらく更新できなかった間に、11月になりました

今年も残すところあと2ヶ月です

10月の末頃には急に寒くなり、今季初、ストーブを入れてみました

皆様お元気にお過ごしでしょうか キセ石材・事務員No.3です

 

前回は、「第10番 法然寺」について勉強しましたが、

今回は「第19番 法然寺」について勉強したいと思います

第10番は奈良でしたが、第19番は京都嵯峨嵐山にあります

こちらのお寺は、平安末期(1197年)に源氏の武将、熊谷次郎直実が

法然上人の弟子となって51歳で出家した後に、両親の菩提を弔う為に作ったお寺です

戦国武将であった熊谷次郎直実は、源平合戦で、16歳の平敦盛を討った話は、

今でも平家物語や歌舞伎の題材としても有名です

他にも多くの人を殺めてきた自分の人生を振り返り、ある時自決しようと思ったそうです

その時、世に聞く高僧の法然上人に見届けて頂き、極楽への旅路を希望し、上人に会いに行ったそうです

そこで、上人からどんな罪人でも阿弥陀さんを信じたら誰でも極楽往生できるという、

仏教の慈悲に初めて触れ、周囲の反対をおしきって出家しました

出家後は蓮生房(れんせいぼう)というお坊さんになり、まず敦盛の供養を高野山でしてから、

京都に滞在し、慈善事業の為に自分の全ての財産を使って学校、橋、道、多くの寺院を作りました

特に法然上人が浄土宗を開宗された時期には、蓮生房が資金的に法然上人と浄土宗を支援していたことで、

現在でも「浄土宗」が大きな教団として存在している理由だと言われているそうです

最初、法然寺は、京都市内の真ん中、四条烏丸の北、烏丸錦小路通りに今も残っている地名、

元法然寺町にありました

その後、京都市内を転々として、現在の嵯峨の地には約60年前に転居してきたそうです

御本尊は、法然上人が53歳の時の自作像だそうです

▲TOPに戻る