
12月になりました 今年も残すところあとわずか
寒さも本格的になってきて、昨日は初雪も降りました
皆様お元気にお過ごしでしょうか キセ石材・事務員No.3です
前回は、「第三十二番 観音正寺」について勉強したので、
今回はいよいよ「第三十三番 華厳寺」について勉強したいと思います
こちらのお寺は、三十三所の中でも一番東、唯一岐阜にあるお寺です
華厳寺の創建は、延暦17年(798)とされています
奥州会津黒河郷に大口大領という人がいて、この人は
十一面観音を建立したいと強く願い、京の有名な仏師に彫り上げてもらったところ
この観音像は、仏師が差し出した笠や履物、杖を自分で身に着けて
先に立って歩きだしたそうです
途中、美濃の国赤坂(現在の岐阜県大垣市赤坂)を過ぎると
「遠い奥州にはいかない この先の山中に有縁の地があるので、
そこで衆生を救済する」と語られ、奥州とは違う北の方向へ向かわれたそうです
華厳寺の南にある丸山に来た時、観音像は歩みを止め、一歩も動かなくなりました
大領は、観音像の言葉を思い出し、この地に像を安置すると、近くの岩穴から
油が吹き出し、燈明に困ることがなかったということです
この話を聞いて、醍醐天皇は、谷から湧き出る油を燈明に用いた事にちなんで、
山号を「谷汲山」とし、「華厳寺」という扁額を下賜されたそうです
これ以降も何人もの天皇がこの地を訪れたそうです
中でも、花山法皇は、この地を第三十三番目の札所 満願所と定められ
御禅衣(おいずる)、御杖、及び三首の御詠歌を奉納されました
御詠歌は、
(現在) 世を照らす 仏のしるしありければ まだともしびも消えぬなりけり
(過去) 万世の願いをここに納めおく 水は苔より出る谷汲
(未来) 今までは 親と頼みしおいずるを 脱ぎて納むる 美濃の谷汲
御本尊は、十一面観世音菩薩
宗派は、天台宗




