滋賀県下最大級の墓石展示場がある石材店。
お墓ディレクター1級・2級が在籍しております。

スタッフブログ

キセ石材のスタッフブログのページです。

法然上人の足跡~その2

 

 

 

 

 

ひな祭りも終わり、やっとお雛様も片づけました

今年は例年よりも早く花粉のピークがきているそうで

何となくの不調が続いています

皆様お元気にお過ごしでしょうか キセ石材・事務員No.3です

 

前回から始まったこの新シリーズですが、岡山県で1133年に生まれた勢至丸は、

9歳の時に父が夜討ちを受け亡くなったあと、母親の血縁を頼って

現在の岡山県と鳥取県の境付近にある菩提寺というお寺に預けられ

そのお寺で叔父にあたる勧覚という僧侶のもとで学ぶことになります

その後才能を認められ、当時の最高学府である比叡山に行くところからです

一説によるとこの時15歳だったそうです

持宝房源光という僧侶のもとで勉学を始めますが、その能力の高さを認められ、

天台宗の教えに通じた僧 皇円のもとへ

そこで髪をそり落とし、正式に出家し、天台宗の僧侶となりました

勢至丸の理解力の高さに皇円も驚き、僧侶としての地位を高め指導者を目指すことを勧めますが、

勢至丸は父の供養をし、静かに仏教を学ぶために、比叡山でも奥まった人の出入りが少ない

西塔黒谷というところへ行き慈眼房叡空に師事します

若くして出世の道を捨てて仏道を究める道を自然と選んだ勢至丸に感銘を受けた叡空は、

「法然道理(あるがままの姿)」から法然そして、師であった源光と叡空から一文字をとって

「源空」を命名しました

これが法然房源空の由来です

この地が特別霊場となっている青龍寺です

ここは大黒天出現の霊地であり、大黒滝があり、大黒谷と呼んでいたことから「黒谷」と

呼ばれるようになったそうです

黒谷は比叡山の中でも別所と言われていて、俗世との関りをたち隠遁の地として知られていました

18歳で黒谷の慈眼房叡空の房に入り、修行を積んでいったそうです

現在、このお寺には境内に報恩蔵と呼ばれる小さいお堂があり、これは法然上人が籠った報恩蔵を

復元したものであり、現在も一部の経典が収められているそうです

住所は大津市坂本ですが、奥比叡ドライブウェイの峠道レストランの駐車場から山道を

徒歩で約30分だそうです

 

TOPに戻る