立春を過ぎ、暦の上では春になりました
昨年の立春から約1年間「二十四節気」について勉強してきましたが、
それも前回で終わり、今回からは新しいテーマとして、以前より
よく理解もしないで唱えていた「西国三十三所の御詠歌」について
勉強したいと思います
関西圏で浄土宗の家に生まれて以来、現在に至るまで、
この御詠歌は、生活の中でもかなり重要なものとされてきました
でも、お経の本を見て何故これが浄土宗に関係するのかを
全く理解していませんでした
今回改めて調べてみるとかなり興味深いことがわかってきたので
それについてまとめていきたいと思います
まず、「西国三十三所観音巡礼」のはじまりから始めたいと思います
「西国三十三所観音巡礼」のサイトによると、
閻魔大王に選ばれた、近畿2府4県と岐阜県にある観音菩薩をまつる
33の寺院を巡る日本最古の巡礼の路とされています
この世の苦しみから人々を救ってくれるといわれている観音菩薩は、
その救いによって33の姿に変化するとされているそうです
「1300年つづく日本の終活の旅」として
令和元年(2019)5月に日本遺産に登録されたそうです
(日本遺産は、文化庁が認定しているそうです)
そのはじまりは養老2年(718)とされているそうで、
長谷寺の徳道上人が病で仮死状態になり、冥府で閻魔大王に出会い、
世の中の悩み苦しむ人々を救うために、33の観音霊場を開いて
33の宝印を授かったそうです(これが現在の御朱印のルーツらしいです)
昔の巡礼者は写経を各札所寺院に納め、その証として御朱印をいただいて
いたそうで、このことから御朱印は納経印ともいわれるそうです
すべての寺で祈りを捧げ、納経をし御朱印をいただくことで「満願」
となり、極楽往生できると信仰されてきたそうです
御朱印を集めることは、閻魔大王から約束された極楽浄土への通行手形
だったようです
現世に戻った徳道上人は、33の霊場を定め、観音信仰をひろめようと
しましたが、当時の人々には受け入れられず、33の宝印を
中山寺(兵庫県宝塚市)の石櫃に納めたそうです
そして、約270年後、花山法皇によってこの観音巡礼が再興されたそうです