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ちょっと「西国三十三所」について勉強してみました~その2

前回から新しいテーマについて勉強していますが、

今日はその2回目 花山法皇について勉強したいと思います

 

先日、大河ドラマを見ていると花山天皇の名前がでてきました

紫式部と同じ年代の人だったのだと知りました

紫式部のお父さんが、この花山天皇の漢詩の先生だったようです

この花山天皇という人物ですが、986年冷泉天皇の第一皇子として

誕生しました その翌年、父親の冷泉天皇の気の病が悪化したため、

実の弟である円融天皇に譲位しました

その為、わずか2歳で皇太子になったそうです

この円融天皇も984年に譲位した為、今度は17歳で

第65代 花山天皇 となったそうです

しかし、この時には頼れる親戚もなく、次期権力を狙う藤原氏の

画策によって、わずか2年足らずで退位に追い込まれたそうです

(まだ19歳という若さで出家したのも、藤原氏の画策によるもので

騙されて出家したとの説もあるようです)

19歳で出家した花山法皇は、失意のまま熊野詣に行ったそうです

その後、花山法皇が巡った観音信仰の霊場が「西国三十三所巡礼」

として現在まで信仰されているそうです

そのため、花山法皇は、中興の祖として功績を讃えられているそうです

御詠歌の起源は、花山法皇が西国三十三所の各札所で観音を称えて詠んだ和歌を

原型として、その和歌に後世の巡礼者が節をつけて歌にしたものだそうです

常識外れな行動が多かったそうですが、和歌の才能は優れていたそうです

1008年、41歳でこの世を去ったそうです

 

 

 

 

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